
AOZORAは、最初は小さな思いつきだったかもしれません。AOZORAを大きくしたのは、参加者みんなの力ですが、みんなを動かしたのは代表 堀川志朗の人柄ではないでしょうか。彼の人柄について参加者のメッセージから読み取ることができます。
「正直これまで堀川さんとはあまりゆっくりお話する機会がなく、今回も1年半振りに参加したAOZORAでしたが、懇親会の時に私の顔を見ただけですぐに名前を呼んでいただいたことが嬉しかったです。他の方との関わり方を見ていてもすごく一人ひとりのメンバーを大事にされていて、その様なところが皆から信頼される所以だなぁとつくづく思いました。」(松瀬 裕恵)
AOZORAが立ち上がった当初から、彼は背中で人を引っ張っていました。「無理しなくて良いよ」と参加者に気を配りながら、自分は多くの作業を抱え込んでいました。
「ダンボールの什器になる前は、木製の什器で準備も片付けも非常に大変でした。AOZORA写真展終了後トラックで什器を堀川邸まで運んでいましたが、写真展が事故も無く無事終わった安堵感なのか帰りの道中でどっと疲れが出てしまうようで、トラックを4速ギアで発進させようとしたり、プロジェクタ用のスクリーンをトラックに貼ったまま走り出して、途中雨で剥がれ落ちそうになって急停車したりと結構毎回のようにハプニングが起こってました。什器の片づけが終わるとみんなでファミレスで食事をするのですが、まずは「おしぼりお代わり!」で2枚使って汗をふきふき。その後はみんな疲労困憊で食事まで放心状態。堀川さんを始めとした運営局の皆様の大変さと凄さが垣間見えた瞬間でした。」(井深 洋)
彼は数年前、原因不明の病にかかり、その治療のため今も通院を続けています。その入院中に感じた絶望と希望が今の彼を動かしています。
「私がAOZORA写真展に出展する事を決めた事、それは二つあって、ひとつは友人からの誘い。そしてもうひとつは写真を始めたきっかけが、堀川代表のエピソードと同じだった事。私も以前、腸疾患で生死の境を彷徨い。死と向き合いました。病室で知り合った人が翌日亡くなっている事も体験して。生きてる証として、何かを残す事の重要性を実感したのもこのときです。伯父がくれたキャノンのカメラを持って色々撮り始めた24年前。堀川代表のエピソードを読むたびに、その事を思い出しています。写真で人が救われる。素晴らしい事であり、自分の目指すべき道でもあります。」(中井 憲吾)
AOZORAは比較的フラットな組織です。何回も参加している人も初参加の人も同じように参加できるます。とはいえ、初参加の人が回数を重ねた人と同じように楽しめているとは限りません。期待の裏に不安があることも確かでしょう。最後に彼の参加者への心遣いにまつわるエピソードを3つ紹介します。
「今回初めて参加させていただきました。前日に堀川さんからお電話をいただいたのですが、その時に、声と話し方がすごくステキな方だなぁと思いました♪」(市川 祥代)
「代表なのに、じっとはしていられず、みんなと一緒に重りの水を運んだり、什器を抱えたり。少しでもメンバーと接する時間を持ちたくて、心の思い出タンクにみんなとの思い出をためたくて、一緒に動いてくれているのかな、声をかけながら動いてくれているのかな、そう思っています。」(鈴木 晃広)
「初参加の時に片付けで途方に暮れていた時がありました。その時、堀川さんに声をかけられて、車の搬入の手伝いでケヤキ並木道を歩いてお話をしたことが印象に残っています。あの時が初めて堀川さんと話をするキッカケだったのですよ。他愛もないことですがAOZORAに参加してよかったなぁと思ったエピソードでした。またケヤキ並木道歩きましょう。これからもよろしくお願いします。」(房野圭悟)
AOZORAの代表は彼以外にいません。

